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長崎家庭裁判所 昭和62年(少)1325号 決定 1988年3月30日

少年 G・N(昭44.10.29生)

主文

この事件については審判を開始しない。

理由

1  本件送致事実の要旨は、「少年は、昭和62年11月17日午前11時50分ころ、長崎県長崎市○○×丁目××番××号G・K方居宅において、同居中の祖母G・R子(84歳)の頸部を両手であるいは電機カーペツトのコードを巻いて絞め、同女を窒息させるに至らしめ、もつて即時同所において同女を殺害したものである」というにあるところ、関係各証拠によれば上記事実はこれを認めることができる。

2  当裁判所は少年法3条1項1号所定の「罪を犯した少年」というためには犯行時における責任能力が必要であると解するところ、少年は犯行時精神科医のもとに通院中であり、犯行前に奇異な行動が多く、また犯行の動機、原因について了解し難い点があるなどその責任能力に疑問を生ぜしめる事情がうかがえるので、以下その存否について判断する。

3  犯行時の責任能力の存否の判断については、犯行前の生活状態、犯行の態様、犯行の動機、記録により認められる少年の犯行当時の病状、犯行後の診断及び鑑定書全体の記載内容とその余の精神鑑定の結果等を総合して判断すべきものと思料するので、以下これらの点について順次検討を加える。

(一)  犯行前の生活状態

少年は、昭和44年10月29日、教員である両親のもとに生まれ、内向的な面がうかがえたり、感受性の強さを示すことがみられたが、高校2年生の夏休み頃までは特に問題行動もなく順調に生育した。この間被害者である祖母との関係についてみると、祖父死亡後の昭和59年6月から同61年11月ころまで祖母の部屋で就寝するなど祖母思いの少年であつたといえる。しかし2学期に入り、腹痛など身体的不調を訴え始め、集中力が欠如し、全般に言動がしつこく怒りつぽくなるなど感情的に不安定になり、成績も中位から最下位近くに落ちた。そして3学期になつた昭和62年1月には腹痛などを理由とする不登校があらわれ始めた。両親はそのころから少年を精神科医に受診させたり、児童相談所に相談に赴いたりしていたが、そこでは「心身症」とか「登校拒否」などと告げられていた。3年生になつてからは不眠や身体的不調のため疲労困憊しながらではあつたが、学校における欠席0運動もあつて登校を続けていたが、その間5月3日には兄の所からの帰宅後、深夜に机を揺する蹴る、床にねころぶ等の激情的な行為がみられ、またこのころから母に殴りかかるなどの家庭内暴力行為、じやれて甘える行為などが見られるようになつた。6月5日には精神衛生センターを訪れA医師の診察を受け以後週1回程度同医師の診察を受けることになつた。同月19日、3年生になつて初めて学校を欠席した。このころは昼夜逆転の生活であつた。7月20日から北海道旅行にでかけたが、同旅行中にも、空港において特に理由もなく着衣を洗いそのまま着るなどの奇異な行動が多くみられた。同旅行から帰宅後も、何回も鼻をかみ、唾を吐くために何度も洗面所にいき、また母がどこにいくにもくつついて歩くなどの行動がみられ、9月に入ると、病気じやないとA医師の診察を拒否した。10月に入ると、母をはがいじめにしたり、母にのしかかつたり、また祖母に対しては抱きついたり、抱きかかえて回したり、物差しでつついたりといつた行動がみられるなど、祖母に対する態度も大きく変化した。犯行の約1週間前から祖母に対する攻撃が激しく母がその理由を聞いても関係のない答えをするのみであつた。犯行当日午前3時半ころ初めて自ら母に睡眠薬を要求し、「どうにかしてくれ」「どうしたらいいかお母さんわからんよ」と言いつつ眠つた。両親出勤後の午前11時50分ころ祖母と2人在宅中、犯行がなされた。

(二)  犯行の態様

上記認定のとおり、本件犯行の態様は、「祖母の頸部を両手であるいは電機カーペツトのコードを巻いて絞め、同女を窒息させるに至らしめた」というものであるところ、殺害方法それのみをもつてすれば通常の手段ということができる。しかし少年の犯行直後の行動についてみると、殺害行為約15分後に、母に落ち着いた淡々とした声で祖母を殺した旨の電話を架け、その約30分後に母が帰宅した際には、祖母の上には毛布が掛けられ、少年は椅子に座り、にやつとした感じでテレビを見ており、そして母が救急車を呼ぼうとすると暴れてじやまをし、その時父から電話が架かつてくると、我に帰つた様子で以後何もしなくなつたことが認められ、これらの行動は、殺害行為直後の行動としては、一般的には極めて異常なものと認められる。

(三)  犯行の動機

犯行の動機に関する少年の供述としては、少年の司法警察員に対する弁解録取書中の「祖母がテレビの音を大きくして聞いていたのでカツとなつてやりました」という供述部分、少年の司法警察員に対する供述調書中の「昼間おばあちやんとテレビのチヤンネル争いをしたりして、おばあちやんに対しては反感を持つていた」「僕はおばあちやんが嫌いでしたから今までおばあちやんを蹴つたりしていやがらせをしていたわけですが、昨日はそれまでのおばあちやんに対する反感が爆発するような感じであらわれ、とつさにおばあちやんがいなくなればいいと考え殺そうと思つたのです」という供述部分があり、これらの供述からすれば、日頃の祖母に対する反感にチヤンネル争いが加わつて犯行に及んだようにも理解できる。しかし上記供述をなした際の状況については、司法警察員作成の「殺人被疑事件被疑者の取調時の状況について」と題する書面によれば、頭痛を訴えて取調を一時中断したり、供述の際何回となくフフツフフツと声を上げて不自然に笑うなど正常ではないと思料される状況であつたことが認められ、また検察官作成の捜査報告書によれば、その後の検察官による取調の際には殺害動機について「わかりません」と答えるのみで、その他の供述も支離滅裂なものが多かつたことが認められ、さらには観護措置手続の際の殺害動機についての質問には「財閥解体です」と答えたことなどに照らすと、上記司法警察員に対する供述については、それが真の動機を示しているか否かについては多大の疑問が存する。

(四)  記録により認められる犯行当時の病状

この点については、少年についてのA医師作成の昭和62年6月20日付診断書があり、同診断書には「起立性低血圧症」と記載されている。しかし同診断書は、少年の休学届を学校に提出する際に添付されたものであつて、少年の当時の病状の一面を示したものにすぎないと理解されるし、また司法警察員作成の「殺人被疑者の家庭環境並に最近の行動」と題する書面によれば、同医師も事件後司法巡査に対し、9月中旬診断時には精神分裂病あるいは解離型神経症と診断していた旨述べていると認められることからして、犯行時の病状について、上記診断書中の病名をもつて理解することはできない。

(五)  犯行後の診断及び鑑定結果等

これらの資料としては、勾留中になされた長崎県立○○病院医師Bによる簡易鑑定、鑑別所入所中になされた同所C医師による診断、当裁判所嘱託にかかる○○大学付属病院医師Dによる鑑定が存する。C医師は病状につき「精神運動亢奮、思考障害、奇異な行動、無為自閉的状態、幻覚は明白でない、妄想は明白でない、以上により、精神分裂病(破瓜型)と考えられる。発症は62年1月頃と思われる」と診断し、B簡易鑑定は、病状及び責任能力につき「被疑者は、61年の夏頃から次第に精神分裂病の破瓜型に罹患している。犯行時には症状は増悪し、現在は顕著となり、共に責任無能力の状態である」と判断している。またD鑑定によれば、まずなぜ祖母が被害者となつたかということについては「被疑者の精神分裂病の経過の特徴には衝動性、怒り、攻撃、暴力が身近な人に対して、しかも依存する相手、特に母親に向いてきたという特徴がある」「被害者に対して攻撃が向けられた理由は推測しかできないが、家族成員の両親に対して向けられたものが病状の悪化とともに対象が広がつたと考えるのが最も可能性が高いことであろう」とし、その動機については「今までに被疑者から述べられた犯行の動機はどれもきわめて殺人という重大な犯罪の動機としては、幼稚で幾らでも解決の策がある事項だけである。この事実こそ逆に病的な動機づけによつて犯行が実行された証拠と考える」とし、その病状及び責任能力については「G・Nは、昭和61年7月頃から社会的不適応が徐々に進行し、同62年6月中旬には明らかな精神病症状が発呈した。その後同精神病状態は進行し今日まで続いている。被疑者の同精神病状態の臨床症状の特徴、経過、各種検査所見は精神分裂病という診断を明瞭に支持するものである。しかも犯行前に被疑者は既に同疾患の重篤な状態にあつたことが十分に推定できる。犯行時に被疑者は精神分裂病による異常精神状態にあり、犯行はその支配下において遂行されたと見なされる。具体的には精神分裂病に基づく人格の深層におよぶ重篤な変化による精神視野の著しい狭搾と暴力的衝動が妄想知覚によつて動因されて犯行に及んだものと考えられる。犯行時の被疑者の暴力的衝動行為はその雛型が既に半年前から出現し持続しており、病状の悪化にともなつてより深刻な形態をとり被害者の殺害に導いたものと考えられる。したがつて犯行時被疑者は精神の病的過程の支配下にあり、自己の行為を理性的に認識することは重大な障害を被つており、真の意思の自由は無かつたものと判断される」と判断している。

4  結論

そこで少年の責任能力について判断するに、まず犯行時の少年の病状については、犯行時までに明確な診断はなかつたものの、当時経過を観察していたA医師が精神分裂病の疑いを持つていたこと、発症時期に若干のずれはあるにせよ、C医師の診断、B簡易鑑定、D鑑定がいずれも精神分裂病と診断していることからして、当時少年が精神分裂病に罹患していたことは疑いないところであると認められる。

その上で同人の犯行時の責任能力について判断するに、C医師の診断、B簡易鑑定及びD鑑定によれば同人の精神分裂病は予後の悪い破瓜型と判断されること、B簡易鑑定及びD鑑定によれば、同人は犯行時同病の重篤な時期にあつたと判断されること、またこの判断は上記3(一)認定にかかる犯行前の生活状態の事実関係からも十分に支持されうるものであると考えられること、上記3(二)認定にかかる犯行後の行為も極めて異常なものであると認められること、上記3(三)認定にかかる犯行の動機については、一応の少年の供述はあるも、それ自身が直接殺害行為と結び付いているとは認め難く、この点については上記のとおりD鑑定が述べるごとくに理解するのが合理性があると認められること、犯行時の責任能力についてB簡易鑑定及びD鑑定がいずれも責任無能力と判断していることなどの事情があり、これらを総合すると、少年は犯行当時精神分裂病の病的体験の支配下にあつて、事物の理非善悪を弁別する能力またはその弁別に従つて行動する能力を失つた心神喪失状態にあつたと認めるのが相当である。したがつて、少年の本件非行については、これを非行事実なしとして審判不開始決定をなすのが相当であると判断される。

なお、少年の現在の精神状態については、上記D鑑定によれば「抗精神病薬の濃厚な治療によつても軽快せず、重篤な精神分裂病状態にあり、現実の認識とそれに基づく行動は重大なる歪曲を被つている。またこの状態に対する病識は欠如している」と判断されており、かような状態における少年に対して審判を開始したとしても少年が審判についての必要かつ十分な事理弁識をなしうるとは考えられず、この場合には、少年法19条1項に規定する「審判に付することができず、又は審判に付するのが相当でないと認めるとき」に該当するものと考えられ、この意味においても審判不開始決定が相当であると判断される(付言するに、少年についてはすでに昭和63年3月17日長崎少年鑑別所長から長崎県知事に対し精神衛生法26条による通報がなされており、本決定後は措置入院手続がとられる予定である)。

5  よつて、少年法19条1項を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 古久保正人)

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